最近オムニバス漫画にはまってます。
コミックで何巻も続くようなのも良いけれど、数分足らずでサクッと読み切れる短編も楽しい。感情移入する間もなく読めるので、平日仕事帰りの「疲れているので頭使わずにぼーっと楽しみたい」需要にも応えてくれます。
ストーリーの尺が短い分、誰かに肩入れして「このキャラが好き!」となることは滅多になくて、「あのシーンの台詞が好き!」という形印象が残ることがほとんどです。たまにそのシーンだけ読み返したくなる。
何冊もオムニバス漫画を読んでるうちに、あの漫画のこのシーンが好き、を集めて語りたい気分になったで(後で見返したら自分が楽しいんじゃないかなと)、満足するまでだらだら書きます。
好きなシーン語りなのでネタバレ配慮はしてませんが、良心の呵責から致命的なネタバレはしない方向です。
惑星9の休日(作者:町田洋)
辺境の小さな星、惑星9に暮らす人々のささやかな日常と、少しのドラマ。
うまく説明できないんだけど その時 この瞬間は永遠なんだ、と思った
ちょっとした日常に起こったドタバタハプニングの後、「疲れたー。あ、明日休みじゃん?この後ご飯食べてく?」と被害者仲間に誘われてのモノローグ。この瞬間を永遠と判断するには脈絡なさ過ぎるのに、本当だ永遠だ、て同調できたんです。
オザケンの『さよならなんて云えないよ』の歌詞で「左へカーブを曲がると 光る海が見えてくる 僕は思う!この瞬間は続くと!いつまでも」が好きなんですけども、それと同じ匂いを感じる。日常の延長線上にある永遠、みたいなやつ。
5つ数えれば君の夢(作者:今日マチ子)
人々を熱狂させる現代の"アイコン"、アイドル。人気アイドルグループの少女5人が、制服姿で見るそれぞれの"ほんとう"。
夢が叶ってしまったら、私は永遠におどりつづけなくてはいけない。それが呪いだっていわれても私はこの赤い靴が好き。この靴がすりへって消えるまで、永遠に踊りつづけてみせる
上京して人気アイドルにまで上り詰めた「ヒトミ」が、故郷の幼馴染を案内する一場面。「ずっとは続けられないアイドルのために、靴ずれしてまでその靴履くの?」と問われてのヒトミのモノローグなんですが、ここすごく好き。
夢は叶えて終わりじゃなく、そこから続くものです。なまじ頂点を見てしまえばなおさら、喜びとともに辛さも味わう。それでも「意地でもこの靴は脱がないんだぞ(...未来の不安は知っているけれど)」の選択に心打たれる。
裏返せば、やりがい搾取とか、夢に酔ってるだけ、なんて批判もできますが、人生のどこかのタイミングでは意地を張るのって必要なんじゃない?て思うのです。
深夜0時にこんばんは(作者:冬川智子)
時報がなって始まる深夜ラジオと、それを聴く人たちのオムニバス。普通なら漫画にしないくらいのささやかな不幸を、デジタルになれないアナログの温度ある声がちょっと救うかもしれない物語たち。
私は 夢も叶えられなくて
そんなに幸せじゃないけど 今は これでいいのかもしれないと思った
生活に疲れた主婦が、大学時代の彼氏が夢を叶えたことを知ってセンチメンタルになったところ、意外と気がついていた旦那様がフォローを入れた、その直後の主婦のモノローグ。四捨五入すると幸せと呼んでいいけれど、ちゃんと幸せかと問われれば100%じゃない感じが、とてもリアルで好みです。人生そんなものだよね(いい意味で)。
東京膜(作者:渡辺ペコ)
妹の部屋で、2年ぶりに集まることになった3兄弟。仲が悪いわけではないけれど、何を話したらいいかわからない。
おとうさんおかあさん あなたたちのこどものもとが こんなにすくすく大きく育って あんな風や あんな風や こんな風になること
想像できた?
兄と妹と弟。それぞれに成人してとっくに家を出て、身の丈にあった形で幸せを模索していて、青く見えた隣の芝生はウチと同じようにしか青くなかった、のをとても前向きに描いてます。しかもそこにはちゃんと希望もあって、泣いた。
自分は人の幸せだけ羨んで、その人の不幸には目を瞑ってたんだなー!みたいな痛さもあって、とてもとても良い。
ずっと独身でいるつもり?(作者:おかざき真里)
雨宮まみ先生の同名エッセイを原案にしたオムニバス漫画。結婚してない私って、「かわいそう」なの?
美味しいものを時々食べること 好きな本を読むこと 仕事で小さく「よしっ」って思えること 夜中にポテチ一気すること
それらを自分の力で手に入れること
焦りぎみに結婚や恋愛に手を突っ込んで、色々あって女3人、ご飯食べてそれで「幸せってなんだろーね」と自称気味に問いかけたその答えの部分なんですけれど、ほんとそうだなぁと思ったり。
「それらを自分の力で手に入れること」。多分、結婚という言葉が耳に痛いとされるアラサー女性だけじゃなく、万人にとって共通項的な幸せの定義って気がするのです。
短編集(作者:魚喃キリコ)
ラヴの欠片を集めた、短編集以外の何物でもないもの。
久しぶりに見入った私の顔は 肌はボソボソだったけれどだからよけいに
ちゃんと女の顔に見えてて
そうだ今日は新しい服を買いに行こうって思ったんでした
恋にどっぷり落ちていく「鈴木さん」の短編も好きだけれど、定期的に刺さる気がするのはこっち「痛々しいラヴⅣ」の方。元彼と会って色々あって、意地でも落とさなかったメイクを家に帰ってから落として、その直後の台詞。
キリコ先生の無音映画的な感じとても好きで、特にここのメイクを落としてくシーンがとても綺麗に感じるのです。それで次に行くために服を買う。
どぶがわ(作者:池辺葵)
「あなたがいなくても生きていける。でも、私たちは確かに繋がっていた」、川沿いの町に暮らす人々の群像劇。
これは台詞じゃなくて無音のシーンなんですけれど、ある壁の薄いアパートで、一人の男性がレコードかけるんですよ。それでオーケストラの指揮者みたいに棒を振る。その音が同じアパートの学生さんの耳に届いてレンチンご飯の寂しさを慰めて、おばあさんの夢の中でのダンスにつながっていく。
全部台詞じゃなくて仕草でそれが語られてくんですが、ここ、すごく好きだなぁと。お互いに相手のことを意識してるわけじゃないのになぜか優しさのおすそ分けみたいになっていて、心温まるというか癒されるというか。
手紙物語(作者:鳥野しの)
現代ファンタジー、英国歴史ロマン、昭和人情もの、謎解き、SF、手紙にまつわる5つの物語。
それにワタシは 本当のことは自分一人が知っていれば満足なのです
帯の「無人島に持っていきたい短編集」のコピーがまず素敵だよね。手紙が書きたくなる、よりは、手紙の先の誰かを思ってふんわり心温まるエピソードがどれもいい。
特に、亡き人気作家が最愛の"H"に送った手紙を巡る謎解きもの「シュレディンガーの手紙」は、最後のコマが余韻があって誰も不幸をかぶっていなくて、そこまでの二転三転の展開含め相当好きすぎる。
サヨナラフラグ(作者:マキチヒロ)
ときどき無様で滑稽で、最高にいじらしく愛おしいオンナたちの「サヨナラ」の場面を切り取った短編集。
ヒマあればずーっとツイッターいじってるけどさぁ もっとするべきことあるんじゃないの?
だいたい本当にがんばってる人は がんばってることを逐一 人に報告しないよ
歌手になりたい夢を夢のまま30間近になったオンナが、ツイッターで「私変わります!」「曲作りがんばってます!」と呟きながら人生楽な方へと流されていく最中、友人が忠告してくれるシーン。
つい、ツイッターのタイムライン追って呟いちゃう自分としては反省しきり。胸が痛い。しかも続けてこの友人、
淋しいからって人と繋がることばかり考えてないで 少しは孤独になりなよ!
なんて畳み掛けるし。この短編のタイトルが「だまってスミちゃん」で、二重にぐさっときます、なんだか。
スピカ(作者:羽海野チカ)
羽海野先生のお話のかわいさがつまったクッキーアソートのボックスっぽい短編集。でもそれぞれに味わいが違って、苦さもあるんだけれど、苦しくはない。
でも 泣いてもやめられないほど好きなものがあるってのはさ きっとすごいことなんだぜ
母に「プロになれる人なんて何千人にひとりもいないのよ?」と言われながらバレエを続ける美園さんと、怪我で野球ができなくなっても野球にかかわっていようとする高崎君とその仲間たちとのふれあい物語。
予定調和とわかってても好きです、こういうシーン。「何かを好きになるって悪いことなのかな?」「そんなはずないじゃん!」としっかり背中を押してあげる。だって好きなことって、いつの間にか好きになっちゃってたんだから、自分で制御なんてできなくて当たり前なのです。
満ちても欠けても(作者:水谷フーカ)
午前11時、AM1431、ラジオ雛菊MNN(ミッドナイトムーン)。ここには音だけのメディア、ラジオを愛する人たちがいる。
どっちかが衰えたら もっかい夫婦になろうねって別れたの
それまでは二人ともちゃんと音に関わってようって
この分じゃ まだまだだな
「満ちても欠けても」自体がそれはそれは好きな漫画で、その中で好きなシーンを、というと3つも4つも思いついてセレクトしきれないんですけれども、あえて選ぶならラジオのミキサー・牛塚さん回。
元夫婦が、久しぶりに仕事で共演して「まだまだだな!」とだけ言い合って別れる。交わす言葉はそれだけなんですが、すごく明るさに満ちていいなぁと。素敵な夫婦愛。...こういうとき素敵さを語れるボキャブラリーのなさ辛い。
勘違いに決まっているのだけれど「あのマンガのこのシーンはもしかして自分のために描かれたのかも!」領域の、共感超えて同調できちゃう作品に巡り会えたなら、それはとても幸運なことだろうな、なんてそんな話です。