青猫文具箱

青猫の好きなもの、行った場所、考えた事の記録。

ググりますか?呟きますか?

乙女ゲームあるじゃないですか。攻略対象ごと好感度でエンドが変わるやつ。

たまに、色物枠なのか奇をてらったのかすぐに意味が飲み込めない系エンドが発動されて、時間かけて攻略したのに的もやっと感が心を占め、ツイッターで愚痴を呟くことがあります。

または、グーグルの検索窓に「◯◯(ゲーム名) △△(攻略対象)ED」「エンド解説 ネタバレあり」と入力してエンターとか。

いずれも、知らないことを知りたいんじゃなく、知ってることについて共感したい気持ちです。呟くかググるかは気分ですが「呟く:ググる=2:8」ぐらい。

つまり、自分で情報発信して「わかるわかるー」と言われるよりも、誰かの呟きをRTしたりブクマしたり「いいね!」して共感したい派。定期的にブログ書くよりブクマサーフィンするのが楽しいですし。

 

でも、ちょっとこれを改めようと思った、という話です

 

こちらの記事を読みました。自分的解釈だと「守破離」の「守」的に形式だって始めるのもよし、最初からゲームのルールを自分で作ってくのも楽しい、という話。


「説明書」はいらない?/「型」の効用と悪影響 - ぐるりみち。

 

そして、この本の一節を思い出しました。

 情報には「既知」、「無知」、「未知」の3つの領域があります。

「既知」は、すでに知っている情報です。私たちは社会に存在するリスクを把握しているつもりいますが、全体から見ると既知の領域はわずかにすぎません。

一方、それについて知らないことを知っている情報が「無知」です。(略)

一般的に、リスクマネジメントは無知の情報を基地として対応するコトだと考えられています。しかし、私たちにとって本当に大切なのは、知らないことすら知らない領域、つまり「未知」の情報の把握です。

引用したのは「リスクマネジメント」の項なんですが、今回の本題は「既知、無知、未知」についてです。情報には、知ってることを知ってる既知、知らないことを知ってる無知、知らないことを知らない未知、の3つがある点

 

冒頭の、乙女ゲームのエンドにもやもやして呟いたりググったりする話。呟くもググるも同じようでいて、実際は違うんですよね。

 

呟く時、私は知ってることを知ってるものとして呟き、反応を求めますが、その反応いかんによっては未知情報が出てくることがあります。「あ、それってこういう解釈で、つまりもう一回オープニングからやり直してみると感動するよ!伏線回収だよ!」みたいな反応とか。

反応してくれる人は、私の既知情報ラインを知ってるから未知情報が提供できるわけです。ちょっと誘い受け的な感じ。

 

一方、ググるこれは検索エンジン頼りで思考を「自分の予測の範囲内」に収める行為です。誰かの反応に対して自分が共感しに行くわけなので、既知情報で既知情報を確認するか、偶然そばにあった想定内の無知情報しか得られません。

知らないことを知らない未知情報に導いてくれる人はいません。知らないことを知らないと気づく、なんて、既知情報の範囲内にいる自分には難しいですし。

井の中の蛙大海を知らず、されど、井の外を知らぬ蛙にそれを求めるのって酷じゃないですか。

http://www.flickr.com/photos/97479012@N00/4763313745

photo by rhett maxwell

 

【追記1/21】 記事書いた当日はここまでで結論投げっぱなしだったのですが、こちらを読んで腑に落ちました。

オールドメディアになりつつあるテレビの利点。大衆性に優れているがゆえの、テレビを世間的なパラダイムの基準にできること。ランダム性と複数情報を含むストリームならではの「ながら」ができること。


テレビがクズでネットは素晴らしいのか? - あざなえるなわのごとし

 

自分が言葉にしたかったのは、プル情報(ネットなど能動的に取りに行く必要がある情報)よりプッシュ情報(テレビなど受動的に受け取るしかない情報)の方がランダム性優れていて、未知情報に触れる機会になり得ることなんだと。

かといって、単なる傍観者では、自分が求める話題の未知情報が出てくるまで待つのは運任せすぎるので、自分から「呟く」ことで問題提起するのが効率的。つまり誘い受け

 

テレビなら、ながら見しているうちに国際政治もおいしいパン屋も国内政治も渋谷の人気のケーキショップの情報も流れてきますが、オンデマンド(HuluやNHKオンデマンドのように、見たいときに見る)ではそれがない。プル情報なので。

プル情報の難しさでもあると思うのですが、自分から能動的に情報を取りに行くには、既知情報か無知情報しかグーグルの検索窓には入力できないわけで、未知情報を探り当てるのは運任せになります。

 

そんなわけで、未知情報と巡り合う機会を作るために、既知情報に関してはあまりググってばかり居ずに、間違いを恐れず呟く方向で行きたいな、と。そうして問題を定義した後は、「ながら」でテレビを見るように、勝手に流れてくるものを追いかけるのが未知情報を得る効率的な方法なのかもしれない、で〆です。あ、なんかセレンディピティっぽいなこのまとめ。