青猫文具箱

本と文房具を愛でる日々。

「読まれる努力」に関する身勝手なジレンマ。

まずは「読まれる努力」が必要な時代

この2冊読みました。

Kindle特化の電子書籍まとめサイト「きんどう(通称:きんどるどうでしょう)」で生計を立てているzonさんの、メディア作り実践に関する『Kindleまとめサイトでどうにかこうにか1000日間生計をたてた話』。

Kindleのまとめサイトでどうにかこうにか1000日間生計をたてた話

Kindleのまとめサイトでどうにかこうにか1000日間生計をたてた話

 

SEOの現在の潮流、SNSの効果的な運用法、コンテンツマーケティングの極意など、Webマーケッターが押さえておくべき内容がストーリー形式で学べる『沈黙のWebマーケティング』。 

 

いずれもメディア運営的な視点で読み始めて、知らない知識も頭の整理になる部分もあって面白かった。...面白かったのですが、それとは別に心の片隅で引っかかるところが。

それは「露出経路」、SNSでの拡散力についての箇所です。

 

SNSの拡散を上手く使え、ファン作りが大切、という内容が共に書かれていて、Twitterでの呟き方、フォロワーの増やし方など具体的なノウハウに紙面が割かれてます。

どんな良いコンテンツも見つからなければ広がらない以上、書き手の「読まれる努力」は必要で、情報経路が多角化したご時世、下手に宣伝にお金をかけるよりも効果的だと思ってます。

日々のコミュニケーションの積み重ねで「応援したい」と感じて、ファンになることだってあるわけですし。

 

ノウハウとして共有される「読まれる努力」

一方でそういう「読まれる努力」の存在って、ちょっとジレンマも感じます。

幸か不幸か親指ひとつで世界に繋がって、書き手と読み手の間も近づいて。その結果コンテンツでしか知らなかった書き手の顔…とはいかないまでもぼんやりとした輪郭が、見えるようになった。

そうした中で、ノウハウとしての「読まれる努力」が語られると、穿った見方になってしまいます。あげ足を取るように努力の気配を感じ取って「どうせ計算でしょ?」て思ってしまう。

しかもこれ、テクニックで褒められても気がつけば嬉しくないのと一緒で、一旦バイアスがかかると、コンテンツがどれほど面白くてもつまらなくなるんですよ。

書き手と読み手の間がほぼ断絶しているような時代なら、気になりもしなければ知りもしなくて純粋に楽しめたのに。

 

「読まれる努力」の上手さ≠コンテンツの面白さ

それに「読まれる努力」って、書き手のコンテンツそのもの面白さとイコールになりませんし。もちろんどちらにも優れた書き手はいると思いますけれど。逆もまたしかり。

少し話ずれますが、自分、小説家になろうのサイトを読み専として回遊するのを趣味にしてます。サイトを回遊してると「面白いのにキーワード設定やあらすじが小慣れてないなー」と感じる作品に出会うことが案外あるんです。

逆に日間ランキングでスタートダッシュが上手いなーと感じる作品もあります。「おっ」と思うあらすじであったり、人気キーワードのそつない組み込み方であったり。それは話の良し悪しとは別の上手さで「読まれる努力」だな、と。

ランキングのような仕組みに乗っかってくると、「読まれる努力」の上手さ≠コンテンツの面白さ、が顕著になる気がするんですね。これがアンバランスな場合、外から見るとノイズになるんじゃないかな。

 

「読まれる努力」のために消耗される時間

ちょっと前ツイッターで「小説に読書感想やレビューをしてくれた読み手へお礼は必要か?」みたいな話題が盛り上がって、自分はそれに「不要だと思う」てコメントしたんですね。

書き手には「手間をかけてまで感想を書くというアクションを取った」というメッセージだけ受け取ってほしいのです。もちろん反応があれば嬉しいのだけれど、返信に時間を割くのは恐れ多いしもったいなく感じる。やっぱり、書き手にはコンテンツへ集中してほしいのです。

それにですねー。書き手と読み手の距離って近くてもいいけれど、書き手は影響されないでほしいという我儘もある。なろう界隈で「毒者様(話の展開やキャラクターに文句をつける人)」に潰される作者を見ると特にそう思います。

基本的に賛意の読み手って、何もアクションしないじゃないですか。否定的な読み手のほうがアクション取る理由があるんだと思う。否定的な反応の方が可視化されやすくて、それに書き手が振り回されるのはもったいないなぁと。

 

書き手な自分の「読まれる努力」

なんて風に、書き手の「読まれる努力」を読み手目線ぶって書いて見ました。

でも自分だって冒頭の本を読んでるくらいで、書き手としてブログを書きながら悩むのです。

読まれるためには努力しないのも違うと思うし、でもそれを義務感で行いたい訳でもなくて。それに馴れ合って、コンテンツじゃなくてコミュニケーションの優越で読まれるようになるのも違うと思ってる。

一人だけ手を止めても、玉石混合の中埋もれていくだけですし。

 

という感じに、変な潔癖症というかジレンマでもやもやグルグルしたよ、という話でした。いずれにしても冒頭2冊、書き手視点で面白かったです。

大体、こうも簡単に読み手と書き手が入れ替わるご時世で、相手が「読まれる努力」で自分と付き合っているのか考えるなんて疲れるし、自然体がいいなぁ...。

むしろこういう苦悩すらも逆手にとって、またはそんな努力些細な違いにして書ける人が最後、残る気もしてます。

 

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