青猫文具箱

青猫の好きなもの、行った場所、考えた事の記録。

串田 孫一「文房具56話」感想文。

文房具の本って、結構多いわけですよ。エッセイだったり雑学本だったり、オススメの文房具セレクト集とか。図鑑ぽいのもありますね。

これまで読んで、今も自分の本棚に残っている文房具の本は「書斎の宇宙: 文学者の愛した机と文具たち」「最高に楽しい文房具の歴史雑学」「古き良きアンティーク文房具の世界: 明治・大正・昭和の文具デザインとその魅力」、そしてこの記事のタイトルにもした「文房具56話」。

他にもいっぱい買ったけれど、残しておきたいな、と思ったのはこれくらい。「趣味の文具箱」「文房具屋さん大賞」は買っても本棚に残さないし、話題になった「文房具図鑑」は、迷って結局リリースしちゃったんですよね。読み返せないことを惜しいと思わない気がしたので。

あとは積ん読になっている「万年筆インク紙」かなぁ。これは本の装丁がすごく好きで、買うつもりがなかったのに本屋で見てうっとりして、そのままレジ直行したやつです。この本の色使いは反則だと思う。スッと明るい白を背景に、絶妙な青、いや藍色なのかな、で文字が書かれてるんです。早く読まなきゃ。

 

それで「文房具56話」の話です。この本は神楽坂のかもめブックスで見つけて購入して、その後何回も読んでいます。

文房具56話 (ちくま文庫)

文房具56話 (ちくま文庫)

 

文房具、身近な小道具でありながら、これほど使う者の心をときめかせる物はない。消しゴムで作ったゴム印、指先で糊をのばす風景、鳩目パンチ、吸取紙など、懐かしいものがたくさん登場する。手に馴染み、気持ちに寄り添う文房具。ちょっとした使いこなしがその価値を決める。どうすればこの小さな道具が創造力の源泉になりうるのか。文房具の想い出や新たな発見、工夫や悦びを語る随想集。

大学教授を経て執筆活動をされていた串田孫一先生の本で、後記によれば、1970年から1973年まで「月刊事務文房具」という雑誌で連載されていたものがまとめられ、加筆のうえ出版されたものです。

56篇分の文房具が登場して、ひとつひとつ、便利ではなくても愛着のある語られ方がしていてとても楽しく癒されます。淡々とした語り口の中から滲む文房具への愛着が、自分と重なることがあってほんのり嬉しくなったり、自分が持ったこともない発想に、なるほどそういう視点もあるのかと気づかされたり。

中でも特に好きなエピソードはふたつ、「消ゴム」と「貝光」の項目なんですが、そこに書かれた心情が良い。「消ゴム」の項目で、

今私の前には消ゴムが一つ、ほとんど球状に小さくなっている。一体消ゴムはだんだん小さくなっていくものだが、どこまで使えるのだろうか。これをもし実験するとなると、むつかしい。使おうと思えば、まだ十分に使えるのに、なんとなく姿を消してしまう。球状になって来ると、床へ落とした時に不規則に跳ね廻って、どこかへ隠れ、しまいにいなくなってしまう。消ゴムの老衰して行った本当の最後を見届けるのは、実に困難なことである。

「消しゴムの老衰して行った本当の最後」て表現が、文房具の終わり方のひとつとして、とてもしっくり来たんです。実用一辺倒で役割を果たして、そして「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」なのだと思うと、今目の前にある文房具への愛着がいや増す。

そういえば、自分も学生の頃筆箱に入れていた消ゴムの行方ははっきり覚えていないし、というか最近でも、鉛筆キャップをつけていたはずの短い鉛筆もどこに行ってしまったのかわからないなと。多分意識もせずに、用済みとして捨ててしまったのかな、と後ろめたさで目を伏せるわけですが。

引用した消ゴムの話は文房具56話の3つ目で、この時点でこの作者の文房具への愛着が好きだなぁと。だから大事に大事に時間をかけて読み進め、そして読み終わった後も、時折本棚から引っ張り出して付箋をつけた箇所を読み返しています。砂時計を、特に時間を計ってるわけでもないのにひっくり返して砂が落ちるのを眺めるのに似ているかも。心地よい時間の無駄。

そしてですね、この本の最後には後記があって、

相変わらず私は大小の文房具店の前を素通り出来ない。これは忙しい時間の中で仕事をしている人には便利かも知れないが、文房具の仲間に入れたくないような品物を見掛ける。また、これは玩具屋の棚に並べた方が良さそうと思われるものもある。世の中は目粉しいばかりに変化して行く時代なので致し方はないのだろうが、気懸りでもある。

作者本人の言葉で最後こう締めくくられてます。

何かを買う時自分は「ステイタスや話題性でこれを買っていない?本当に欲しい、必要なものなの?」て手に取って考えるんですけれども、要は、記号的消費や物語的消費を文房具に対してしてないか、て思う時があるんです。実用のための文房具を、アイコンとして買っちゃってないかな、と。正確には、文房具に対してだけじゃなく、服や靴や買い物全般に対して思うわけですけれども。

だからこの後記を読み返すと、襟を正す気持ちになるというか。使われずに朽ちて行く文房具があるとすれば「消しゴムの老衰して行った本当の最後」よりも満たされてない気がするのです。終わりまで見届けられずとも使って、何かに役立てて終わりたい、みたいな。

 

もちろん、手に取ってときめいて、それだけでもひとつの大切な使われ方だと思うんですよ。その意味で、少し前に読んでいた「買い物とわたし」が良かったなー。無駄なものもたくさん買うけれど、すごく誠実にものに向き合っている感じがした。

買い物とわたし お伊勢丹より愛をこめて (文春文庫)

買い物とわたし お伊勢丹より愛をこめて (文春文庫)

 

まぁ、真剣に必要だと思って買ったものでも、後から振り返れば虚栄のために買っていたことなんてザラにあるし、もしかしたら逆もあるかも知れないので、その人次第、てことなんだと思うのですけれど。そんなことを考えながら、また時折文房具56話を読み返します。