青猫文具箱

青猫の好きなもの、行った場所、考えた事の記録。

そういえば消しゴムを使わなくなった。

つくしえんぴつがそろそろ補助軸が必要な長さまで減って、でも六角の入る補助軸なんて持ってないからどうしたものかなと思っていたら、ケース入りのつくしえんぴつを見つけたので思い切って購入することにしました。

つくしえんぴつ

まずもって箱がかわいい。最初から削られてるのも便利でいい。つくしえんぴつは柔らかい4Bの芯の書き心地が良くて、資料の下書きを作るときによく使います。やっぱりスケッチブックとの相性がいいし。中途半端なやつはひとまず放置かな…中島重久堂のTSUNAGOでも買おうかしら。

 

そして思ったのですが、子供の頃よりえんぴつの減りが早いなと。最近はどんな筆記具を使っていても書き損じは二重線で消して、たとええんぴつ書きであっても消しゴムで消すことなくなったせいなんですけど。

きっかけはマインドマップ的なノートの取り方をするようになってからで、あれって思考プロセス残すために消しゴム使わないこととが推奨されてるわけですよ。思考の連想ゲームを進めて、行き詰まったら二重線で消して、他の思考のルートを見つけていく。あとから見返した時に思考プロセスが辿れるから便利で、いつの間にかそれが自分のノートの取り方のデフォルトになった気がします。

そのせいか、小学生の頃ならノートに書き留めもしなかったであろうダラダラとした思考プロセスも紙に落とし込むことも多くて、それで頭の中にもやっとしたものを整理してる面もあります。頭で考えていた時はすごい重大事な気がしてたことも文字にするとありふれていて冷静になれる。頭で考えていただけの時はすごいアイデアだと思ってたものが、視覚化されて微妙な気分になることも。

前にペンクリニックで万年筆見てもらった時にお店の方と雑談で、「中国では子供の頃から万年筆を使わせるんですよ。間違っても消しゴムで消すことができないから、物事を考えるのに慎重になるし、文章にじっくり取り組むから字が綺麗になる」という話を聞いて、なるほど日本人は揉消すのか、みたいなこと思ったけれど、消しゴムを使わないことで培われる何か、があったらそれも面白い気がするなぁと。

 

消しゴムを使わないルールを採用するようになったのって、好きなだけノートが使えて、紙面の残りを気にする必要がないからというのもあり、なんか、いいご身分になったんだなぁと。小学校の頃から考えるととても贅沢。小さな字でぎっしり埋めてたもんね、ノート。

そういえばこの潤沢なノートも、最初から惜しみなく色々買っていたというより、万年筆を使い始めたあたりから、万年筆に合うノート、を探して試すようになったことがきっかけな気がしています。

万年筆って、例えばそれまで使ってた紙質ってほぼ日手帳を代表とするトモエリバーあたりが多かったんですけれど、万年筆のインクによる裏写りや裏抜けを気にすると、そこらへん選択肢から消えちゃうわけです。必ずといっていいほど裏写りや裏抜けがあるから。筆記適性というんでしたっけ、こういうの。

ほぼ日手帳なんか1日1ページの手帳で、昨日の書いた言葉が裏からインクにじみ出てきちゃって、なんで昨日を引きずらなきゃいけないの、と。昨日より明日の方が、新鮮で真っさらなページに文字を書きたい。

自分が愛用しているカクリエでも同じ問題が発生していて、それまではフリクションボールを使ってたからよかったんですが、万年筆を使うようになってからはカクリエもプレミアムクロス1択になった気がします。パスピエクリーム紙様々。裏抜けないし。

ジプシーのごとくいろんなノートを購入しては試して、裏写りや裏抜けはないもののなんとなく書き心地が気にくわないぞ、と次のノートに進み、単価あたりが500円超えたあたりから、いやでもノートにこの価格払うの?気軽に書きたかったんじゃないの?なんてジレンマに襲われ。

今はだいたい万年筆使って書く時はカクリエプレミアムクロス1択。あと、使い切っちゃったけれど、千葉は本八幡「ぷんぷく堂」で購入した、競馬新聞に使われる紙で作ったメモ帳も良かったです、裏抜け完全になくて。また買いに行きたい。

 

そして最近インク系のペンとしては、万年筆から気分がボールペンに戻りつつあり、というのもフォルムがとても可愛くて見ているだけで心和むエナージェルの猫柄を購入してしまったから。もうノックしてペン先出すたびに可愛さに心ときめく。ストレスない筆記具も大切だけれど、それを乗り越えるときめきってあるよねと。思わず2つも購入してしまった。シャムと三毛のイメージのやつ。

エナージェルの猫柄

特にこの画像のシャムの柄が可愛くて可愛くて。真剣な会議でもこれ見てキュンとときめいてます。よさ。

まぁつまり消しゴムはやっぱり使わないね、てことなんですけれど。ペンもえんぴつも書きっぱなしで消去ではなく訂正ですますようになって、間違いをプロセスとして残す、のが当たり前になりつつある昨今です。