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青猫文具箱

本と文房具を愛でる日々。

「ダイの大冒険」のポップは、格好良くなった、が良い。

日経新聞で、有栖川有栖先生が「古今東西のいかにもミステリーな人々」を紹介するコラム「ミステリー国の人々」を連載してます。4月3日のコラムでは「幕切れに名探偵を襲う悪夢」として、

主人公を名探偵にするに当たっての注意事項。知的強者の嫌らしさを消すこと。

名探偵は誰よりも観察力・推理力に長け、警察の組織的・科学的な捜査をも出し抜く。事件の関係者(被害者を含む)がひた隠しにしていた秘密を白日の下に晒す。そんな行為に対して「いい気なものだ」と読者に冷たい反応をされてはまずい。

コラムでは、だからミステリー作家は「嫌らしさを解消させるために名探偵にハンディキャップを与える」と続きます。

強者の嫌らしさを消すこと。これは何もミステリーに限った話ではなくて、物語の主人公の多くは読者の共感を誘うため、ハンディキャップを背負わされます。生まれの不遇だったり能力の限界だったり、主人公に劣等感を植えつける存在であったり。

ハンディキャップを背負わされるからこそ、それを乗り越えた時のカタルシスがあるわけですし。パーフェクトな主人公の物語では読者が引いてしまいます。

 

兄貴の本棚を自分の本棚として育った自分が、コミックを買った数少ない漫画が「ダイの大冒険」で、大人になって電子書籍で再購入したくらいには好きです。

ダイの大冒険の主人公・ダイって、真っ直ぐで優しい良い子で、お姫様に気に入られ勇者に認められて、ハンディキャップを背負わされた子という印象はありません。その分「いい気なものだな」と読者に思わせないためのハンディキャップを代わりに背負わされたのがポップなんだ、と最初思わされて、それがすごく嫌だったんです。

主人公を引き立てるための脇役を割り当てられた感じが最高に嫌だった。何者にもなれない自分、みたいじゃないですか。だからポップがおだてに乗っていい気になってはへこまされるのを「(身につまされるようで)痛いな」と思ったし、強い敵から逃げるたびに胸がきゅうっとなった。

物語が進んで仲間が増えて、ダイもポップも試練や敗北を乗り越えて強くなって、で、"仲間どころか敵にまでも認められて重要な戦力としてカウントされてる"ポップを見て、嬉しくなった訳です。なんだか平凡な自分にも可能性がある気がして、勇気づけられた。「いいように作者の掌の上で転がされてるな」とわかりつつ嬉しかった。今なら、武器屋の息子っていうありふれた生まれ育ちも最高に素敵だと思います。

 

でも、その先に最大の挫折があるわけですよ。ある魔方陣を完成させるには5つの力が必要、という場面で、5つのうちのひとつがポップに割り当てられるんですね。でも、ポップはみんなより先に、自分には必要な能力がないと気づいてしまう。

そこからの苦悩というか絶望みたいなのが、大して挫折を経験したこともない子供心にも刺さって、今も読み返すときは頁を飛ばすくらいに痛いんですが、当時何を感じたかは覚えてます。

特別な生まれ育ちを持たない唯の一般人は、結局、主人公にはなれないんだなと。どんなに頑張っても、所詮脇役には限界がある。漫画読んで、感動した訳じゃなく泣いたのってこの漫画のこのシーンくらいかもしれません。絶望というか悔しさというか。...もちろん、それがすぐ覆されるのも知ってましたけど(マンガだしね)。

そこからの逆転劇は「あなたの目で確かめてください」で端折るんですが、最後、ポップはポップのまま苦難を乗り越えて、ダイと一緒にラスボス戦に臨むんですね。ダイが絶望で膝を折った時も、手を差し伸べて掬い上げる。このシーンのポップの台詞は、他のどんな立派な仲間でも駄目で、ポップじゃないとダメなんですよ。そしてここで、ハンディキャップとしての脇役じゃなかったんだねー!てカタルシスが爆発する。

竜の血を分け与えられたくらいで、「実は天界の血を引く子供でした」的キラキラしいバックグラウンドを与えられなかったポップが、長い冒険の先、唯の脇役として終わらないというのが作者からのエールっぽくて最高に好きです。だから自分は、格好良くなかったポップが、いろんな苦難を経て格好良くなった方が好みだなと。そしてそれは自分から遠くないほうが(希望が持てて)良い。という個人的所感でした。

 

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