青猫文具箱

青猫の好きなもの、行った場所、考えた事の記録。

王道で勝ちに行きたい。

ポルノグラフィティが流したように、百万人のために唄われたラブソングなんかに涙流したりしないぞと思う一方で、百万人に唄われるラブソングが書きたいと思うことがあるんです。もちろん歌は喩えで、別分野の話ですけれど。王道で勝ちに行ってみたいなぁと。

大変有り難くも自分の名刺として使える仕事の実績があって、でもそれって搦め手というか既存の改良版みたいなやつで、そのときの自分の最大限ではあるけれど、今振り返ると納得いってない部分もあるんですね。はっきりと、その道を突き詰めてもじり貧だよといわれたこともあるし。

だからいつか、でもそう遠くない段階で王道で勝ちに行きたいなと思って、そして、一度チャレンジして失敗したんです。失敗というとちょっと違うのかな、定石をなぞって形としてはまとまったけれど、ほとんど誰にも響かなかった。小さくまとまりすぎて軽かった。

それでそのとき経験として自分の中に蓄積されたのが、王道はただ歩けばいいってもんじゃなくて、王道足りうる理由を知った上で歩かなきゃ意味がないんだぞ、てことです。そりゃそうですよね、ファーストペンギン的に、いわゆるブルーオーシャンを探しにいくのでなければ、基本、先行者が有利なものですし。試行錯誤を繰り返して経験値を蓄積していった先達が、それでも失敗することもある王道という道を、ただ真似て表面なぞっただけのひよっこが上手く歩けるわけがないのでした。

ちょっと前に日経新聞の記事で、ポップスグループ「いきものがかり」のインタビューが取り上げられてたんですけれど、

(創クリエーター)音楽を通じ人々のそばに ポップスグループいきものがかり 「ポップであること」追究し10周年 :日本経済新聞

この「ポップであること」、今までも何かで聞いた記憶はあったのですが、今のタイミングですごく響いたんですね。水野さんの言葉を引用するんですが、

「癖のように多用してしまうコード進行はあります。そこに陥らないように心がけつつ、逃げずに向き合う必要もある。同じ進行の名曲が一万曲あったとしても、だからこそ、まだそこに可能性があるはず。とっぴな作り方をするのは実は簡単で、スタンダードな作り方をどこまで深堀りできるかです。」

ストンと腑に落ちた。

多分王道というのはいつでも研究されていて、しかもそれを消費する側も慣れてるんですよね。誰もが詳しいからこそ王道であるというか。だってあの人が王様であると認識されてないと、みんな王の道として譲ってくれませんし。

そして、誰もが知っていて審美眼も厳しいその道を、恐れずに歩こうと決めるその決断もなかなか勇気がいる気がするんです。だって、他のもっと楽かもしれない近道を自分で閉ざすような行為です。相手は草むらから攻撃することも可能なのに、何も自分の手をさらけ出さなくても、てことになる。 普通、よほど地の利や数の利があるでもないと、選ばない手段だと思う。

それでも王道で勝ちに行きたい思いがあって、で、自分は一度失敗して、まさにその「スタンダードな作り方をどこまで深堀りできるか」が浅慮すぎたんだと今は思い、「深みを出す」方向で試行錯誤中です。気がついたら深夜で、しかもこれ多分、消費する側は気づきもしないんだろうな、みたいな自虐に陥ることもある。けれど、そういうことなんだな、という手応えらしきものを感じることもあるのです。細部に神は宿る的な。勘違いかもしれませんけれど(という逃げの余地)。 

ヒトリノ夜

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