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青猫文具箱

本と文房具を愛でる日々。

グーグル・タイムトリップ。

最近、ブログやめるときに記事をすべて削除するか?を考えます。

具体的な計画ではなくて、やめるとき自分ならどうするだろう、という思考実験。実際には意味のあまりない問いかけで、例えば身バレでやめるなら全記事削除しそうじゃないですか。飽きてやめるなら放置しそうだし。

 

なぜそんなとりとめないこと考えたかといえば、昔演劇やってた時の稽古日誌がですね、今もウェブ上に残っててそれを見つけちゃったんです。理由は忘れたけど思いついてググったらでてきた。

フルネームではないけれど実名で書いていて、しかもなんか未来とか演劇論とか熱く語っちゃってるんですよ自分。わっかいなー!て感じに。誰だ残したの。

はじめ見た時あまりの青臭さにブラウザバックしたんですが、なんとなく再訪して、今はブラウザのお気に入りにしてたまに読み返してます。タイムカプセルみたいで懐かしくて、「お前、自分だな!」て感じが良い。本質は大して変わってなくて、でもあの頃と今の距離間から、今の自分が測れるような。

アカウントもパスワードもわかんないし変更されてるかもしれないからもういじれないんですが、いつか消えちゃうのかな。その前に自分がその存在を忘れるんだろうか。それはやだな。

 

今は「ググる」とき、わからないことを調べる以外に感情検索というのがあるそうです。眠いなーと思ったときに「眠い」、残業つらいときに「残業 つらい」とかですね。

自分も無意識にやっちゃうことがあります。映画見終わった後に「○○(映画名) つまんなかった」みたいな。グーグルの検索窓に映画名打ち込んで、サジェストで「つまんない」が出た時の安心感すごい。

こういう時も「お前、自分だな!」て思って、その悩みはありふれてるんだという共感が心地いいんです。一緒に映画見に行った友達と感想が違うことなんて往々に起こる訳で、その分、別のところで共感とか同意が欲しくなる。正しさが欲しいのとはまた違って、ただ、同じような誰かがいるのが知りたいんです。

 

グーグルの検索窓に言葉を打ち込むとき、何かの答えを探してるのか、「お前、自分だな!」を探しているのかわからなくなることがあります。何かの答えを探すつもりで、実は自分が欲しい言葉を探してるだけのこともあるし。

自分に共感して、背中を押してくれる誰かの言葉が欲しい。それが自分に向かって投げられた言葉じゃなくても、共感できる言葉ならいい。ググって「未来や過去の自分的な誰か」を探すことって案外多いんじゃないかと思うんです。

 

そんな風に、リアルタイムで出逢えない、未来や過去の自分的な誰かと繋げてくれるグーグルの検索窓のことを「タイムトリップのマシンぽい」と思うことがあって。

リアルタイムには出逢えなかった誰かに、グーグルの検索窓を使って逢いに行くような。だってウェブの海って、物理的な距離を失くすし今も過去も同じように漂ってるから、時間や場所の壁関係なく出逢えちゃうんですよ。

しかも、特定の誰かに「伝わる」よう投げた言葉でなくて、「伝えたい」思い先行で投げた言葉が偶然届いちゃうんです。メッセージボトルを海に流すとき、拾う相手の顔なんて浮かんでないのに似てる。その偶然性もなんだかとても良い。

実際、過去の自分が書いた稽古日誌が、未来の自分に届いちゃったわけですしね。あの頃未来の自分が読むなんて、ちゃんと想像できてなかった。

 

でも、あくまで「旅行(トリップ)」ですけどねー。通りすがりの旅行者でしかなくて、相手を変えられまではしない。自分が過去の日記を見つけて、でも過去の自分には何も助言できないように。変えられても困りますし。でも、逢えちゃう、ただそれだけですごいなと感じる。

だから残そうかこのブログ?と。でも、残すことで誰かの出逢いを邪魔するノイズになることもありそうで、躊躇するんです。まぁ意味があるのかノイズになるのかなんて、その時その人にとってみないとわかりませんけれど。

 

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