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青猫文具箱

本と文房具を愛でる日々。

私のカメラは二次創作にしかならない。

出張先で美しい光景と出逢い、カメラで撮ったら「奇跡の一枚」になりました。

それを友達に見せて「綺麗だね」と称賛されて得意げになって、でもふとしたタイミングで「あれ、自分はなんで得意げになってるんだっけ?」と疑問が。

 

この称賛って「何」に向けられたんですかね。カメラのスペックの高さ?テクニック?場面の切り取り方?

…だいたいは被写体自体の美しさに対して綺麗だと言ってるんですよね、こういう場合。

誰がカメラのシャッターを切っても美しさは大して変わらなくて、だって自分は写真を撮るとき、生の目で見るのと同じように場面を切り取ることをカメラに求めます。

だからその称賛は、カメラを構える自分から導き出されるものではなく、元からある被写体由来のものです。

 

カメラのレンズ向こうの被写体は、自然であれ人工であれオリジナルの存在。

カメラでそれを写し取る行為は、オリジナル小説を元に二次創作を書く行為とどう違うか考えるときがあります。

三次元を二次元に換える違い?オリジナルに権利を主張する口があるか否かの違い?法律で保護されているか否かの違い?

結局のところ、オリジナルの存在がなければ自分のカメラは成立してなくて、例えそこに編集的な創作性があったとしても、出来のいい二次創作ぐらいにしかならないと思うんです。

自分のカメラは何も作り出してはいなくて、誰かが作り出したものを拝借する行為でしかない。無から有を生み出さない。

カメラを趣味にしている人や仕事にしている人を凄いと思うのは、その壁を乗り越えて創作性を発揮できるからです。

 

そして、カメラが二次創作でしかないならもうひとつ、自分のモチベーションを下げる事実を思い出すんですね。

 

ええと、つまりこのブログ。ここって本や文房具をテーマに、その感想やそこから思いついたことをつらつら書いてますけども。

検索やSNSを通してブログに来る人たちって、ほとんどは本であれ文房具であれ「オリジナルの被写体」への興味で来るわけですよ。別にこのブログに興味があって来るわけではない。

ブログ始めた初期の頃、読んだ人の反応がわからなくてPVが気になった時期がありました。でも稼いだ数字は射幸心的な悦びでしかなくて、冷静になれば数字はオリジナルの凄さでしかないと空しくなる。

ブログのPVって、如何に大きな虎の威を借りれるかじゃないかなと。このブログも結局、オリジナルの形を変えた二次創作でしかないかもしれない。

まぁそんなこと考え出すと、じゃあオリジナルってなんだ、てことになっちゃいそうですが。

 

「物語工学論」の、賀東招二先生(フルメタ作者)と新城カズマ先生の特別対談部分で、

物語工学論 キャラクターのつくり方 (角川ソフィア文庫)

物語工学論 キャラクターのつくり方 (角川ソフィア文庫)

 

新 山登りのイメージは、実は僕も昔から抱いていてーー物語作者は実際どこまでストーリーを作ってるのか?という問題とも関わってくるんだけどーーこういうプロットで行こう!ってところまで固める作業というのは、よくよく考えれば、今まで自分が体験して感動してきたものから影響しされた結果であって、けっして自分だけでゼロから創ったものじゃないんだよね。だからこそ、昔の人の作品を分析して学んだりするんだけど。で、その中で、自分が発見したルートはこれだ!というものーーそれが自分なりのオリジナルストーリーなんだけどーーはあるにせよ、でも山そのものはみんなの共有物。自分がやったのは『この道』を発見しただけだよ、という。

賀 どう登るかを決めておくことだけがオリジナリティというか。

新 そうそう。目的はもちろん決まってるし、自分が今いる場所もわかってるけど。

賀 別の角度から見ると、他の人が登ったことのある山だったり。

新 昔の人のルートと一部交差したりね。オリジナリティというのは、山じゃなくて、ルートの方にあると思う。...

オリジナリティというのは、山じゃなくて、ルートの方にある

どう登るか、何を選ぶかがオリジナリティだとすれば、選択を続けていけばいつか、自分がオリジナルになることのできる日が来るのかなー。

オリジナルを選んだ動機とか背景とかを上手く言葉にできるようになれたなら、ただの二次創作から抜け出せるんでしょうか。せめて短歌の本歌取りぐらいには、再発見な視点を引っ張ってこれる書き手になれたら嬉しいと思えます。

 

もしかしてここにブロガーとアフィリエイターの違いってあるんですかね。

多分アフィリエイターであれば、オリジナルの被写体が他にあることなんて当たり前として受け入れられて、むしろ、いかにオリジナルの被写体を魅力的に見せるかに注力できる気がします。

この微妙に残ってる自意識みたいなものが、面倒ではあるけれどブログを書く自分が向き合えば面白いものなのかしら。ままならない気もしますけれど。

それでも書きたいことがあれば、書いちゃうわけですけれどねー。ブログなんて大概、そういうものだとも思いますし。

 

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