青猫文具箱

本と文房具を愛でる日々。

最近のラノベ主人公の努力不足感について考察してみたー。

とあるラノベ読みの違和感。

こちらの記事読みましたー。

最近のアニメとかライトノベルで「主人公が努力していた」という描写

最近のアニメとかライトノベルで主人公が努力していたという描写が結構合ったりする。(略)ただ、そこで一部の読者がそういったキャラが「まったく努力していない」という感想を言うのを度々耳にする。

小説家になろうの感想で「何番煎じのチーレム」「修行もせず最強主人公乙」「努力なし俺TUEEEEは萎える」といった書き込みを見ると、言語化できないモヤモヤを感じていました。努力の「書かれ方」は流行り廃りであって、最近のラノベ主人公が努力してないというのは、正直いい過ぎのような?

そんな訳で、最近のラノベ主人公が努力不足と思われがちな理由について考察してみたーという内容です。

最近のラノベの中でも「努力してない」の筆頭に挙げられる小説家になろう産を主眼にしてます。だって自分、なろう読みなので。

あと作者の筆力不足説は「それって本当に筆力の問題?思い出補正か流行乗り遅れじゃなくて?」と首を傾げる派なので、考察に含めてません。

 

最近のラノベ主人公の努力不足感に関する仮説。

最近のラノベ主人公の努力不足感について、思いつくまま仮説を立ててみました。

  1. カタルシス共有されない説
  2. ヘイト管理で物語早回し説
  3. 違和感仕事しすぎでリアリティ逃亡説
  4. 比較存在不在で実感できない説

ではそれぞれ見ていきましょうー。

 

1.カタルシス共有されない説

川上徹也氏の書いた「『強い文章力』養成講座」で、「ストーリーの黄金律」という考え方が出てきます。

  1. 欠落した、もしくは欠落させられた主人公が
  2. 遠く険しい目標に向かって
  3. いろいろな障害や葛藤、また敵対するものに立ち向かっていく

この3つの要素が揃うと人類共通の感動のツボになるというものです。「友情・努力・勝利」の少年ジャンプ風ー。つまり、読者を感動させるには「主人公に何か欠点を作り、困難を与え、それに立ち向かわせなければならない」

一言で言うなら「カタルシス」が必要ってことですね。カタルシスとは、要は抑圧からの解放的な感情です。絶望からの復活、悲劇からの挽回、散りばめられた伏線の回収。要はギャップ萌えの高尚表現。

例えば「BLACK BLOOD BROTHERS」のジローは、物語中盤で敵に絶望的な負け方をして崑崙に籠もって修行し、報われる。ここにカタルシスがあります。ストーリーの黄金律が実行されている。 

BLACK BLOOD BROTHERS1?ブラック・ブラッド・ブラザーズ 兄弟上陸?<BLACK BLOOD BROTHERS> (富士見ファンタジア文庫)

BLACK BLOOD BROTHERS1?ブラック・ブラッド・ブラザーズ 兄弟上陸? (富士見ファンタジア文庫)

 

そしてこの敗北→修行→勝利的なプロセスを微に入り細に入り語るのって、読者にコンテクスト(文脈)を理解してもらうための作者的努力です。

でもこのコンテクストを常に語る必要があるか?は疑問ですよねー。だって80年代に魔王と勇者の関係を語るのと、現代に魔王と勇者の関係を語るのは意味が違います。私たちはすでにファンタジーを共有してる。 80年代の勇者魔王間を上から目線で、つまりはメタ的に見ることができる...と錯覚してる。

そう錯覚です。80年代から現代に至るまで、ライトノベルを消費してきた人たちと最近触れた人たち、なろう界隈とアニメ新規なラノベ読みそれぞれの観測範囲で見てきたラノベ主人公の努力に対するコンテクストが違ってしまったせいで、カタルシスが共有されない、だから「努力不足感に感じる」という説です。

 

2.ヘイト管理で物語早回し説

黄金律に則ったラノベがつくられるのは今も昔も一緒ですが、これに加え最近は「読者のヘイトを貯めないこと」もテクニックとなっている印象。以前、小説家になろう考察で、

読み専が「小説家になろう」ランキング考察やってみた。

作家は、ブックマーク解除させないため、読者のヘイト(ストレス的何か)を貯めない必要があります。そのため、シリアスな展開を短期間であっさり解決させる「短期的にはストレスなくて良いけれど全体として盛り上がりに欠ける」という展開が頻発するのはなろう的仕様です。

と書きましたが、小説家になろう以外でもその傾向があると思う今日この頃です。

主人公が敵に敗北して沈んで立ち直って修行して再戦して、を延々書いてくと、読者はヘイト貯めて続きを忌避します。小説家になろうだと作品のブックマーク数が減ります。忙しい現代人は、心理的負担になるラノベを容赦なく切るのです。「されど罪人は竜と踊る」みたいな鬱枠ラノベは今売れるのだろうか、なんてー。

だから作者は「物語上必要でもストレスがたまる展開」を早回しする必要があるのかなと。主人公の敗北、葛藤、修行、自暴自棄な展開とかですね。

心理ストレス高めなシーンを早回しした結果、修行して強くなったところから物語を始めたり、幕間で努力したことにしたり。「実は努力型主人公だけど、読者感情に配慮して最強主人公になってから物語始めました!」的なやつです。それなんてフルメタ。

一方、早回しで物語の起伏は損なわれるので、昔からのラノベ読みだと「なんだか努力が物足りない」感想が出てくるという説です。

 

3.違和感仕事しすぎでリアリティ逃亡説

例えばミステリで、密室トリックが「内側から鍵をかけた後、魔法で小さくなって通風孔から出ました!」は通常駄目じゃないですか。でも、魔法世界が舞台で、魔法を使える条件が限定されて、現場に残された証拠が魔法由来のもので、みたいに緻密に設定されていれば、場合によっては納得感がありますよね。

結局のところ作者は、読者の違和感をいかに文章や設定で払拭させて「あり得る範囲」と錯覚させられるかが勝負だと思うのです。つまりリアリティを持たせる。

そのために一番簡単なのは緻密具体的に描写することです。単に「努力しました」だけでは違和感払拭されないしリアリティ逃亡してしまう。「努力しました」を、「師匠を訪ねて崑崙に行き、4カ月間毎日の素振りと暴走する力の制御に血の滲むような思いをし、時には遠くの空の仲間に思いを馳せて涙した」まで言い換えてこそ、読者の納得感を生み、ひいては感動を呼ぶのです。

これは、状況描写だけでなく人物設定も同じです。コミュ障でひきこもりニート、なのに異世界では他国の外交官と交渉で渡り合う!とか、昔帰宅部で現在文科系事務職、なのに剣を持つと達人並みの腕前!とか。現実の経験と照らし合わせてまず無理がある。

読者的には、経過と結果がイマイチかみ合わない。すると、とたんリアリティのない薄っぺらい物語と評価されてしまいます。ここら辺のさじ加減が上手くないと、読者の違和感が払拭されません。

その上根拠のない(ように見える)成果を出されちゃうと、リアリティがなくて「はいはいチート主人公乙」と非難されちゃう説です。

 

4.比較存在不在で実感できない説

自分が考える努力型主人公(ぽいの)筆頭って「クジラのソラ」の雫です。

史上最高に主人公な少女たちが活躍する小説、まとめました。

主人公チートもの流行ってるじゃないですか、俺TUEEEE系?クジラのソラの主人公・雫は、それとは真逆の主人公です。天才に囲まれた努力の人。才能を与えられず、自分の真横にスポットライトが当たる人。渦中にいながら必要な情報を隠され、ピエロのように踊らされる人。 

物語の中で雫は、それこそ読者のヘイト感情に配慮したら打ち切られそうな仕打ちを度々受けるのですが、だからこそラストの雫の台詞、

一般人代表として、一般人を見下す天才様へ

の大見得切りにブワっとくる仕掛けになってます。

クジラのソラ01<クジラのソラ> (富士見ファンタジア文庫)

クジラのソラ01<クジラのソラ> (富士見ファンタジア文庫)

 

でも冷静に考えると雫さん、美少女だし艦隊バトルゲームの日本代表だし頭もいいし、努力型にしては設定恵まれてるんですよね。むしろ天才型。

それでも雫にチートな主人公感がないのは、もうこれは周囲のインフレした天才どものおかげです。周囲環境が雫を努力型主人公に位置づけさせていて、雫という平凡じゃないのに一般人代表な主人公を生み出している。

勇者の価値を決めるのが魔王の存在であるように、主人公の価値を決めるのは周囲の環境、つまり比較存在です。比較存在不要な、絶対的な価値ではない。

そう考えると、小説家になろうらしい俺TUEEEEの無双感は、比較存在の不在が原因かもなーと。敵が使い捨てだったり、味方もハーレム形成するアクセサリー存在だったり(に見える)。

あと、比較存在は主人公の価値を決める以外に、成長度合い、つまり「努力の結果」が実っているかのバロメーターでもあると思うんですね。「銀盤カレイドスコープ」のタズサとリア的な。

まとめると比較存在の不在は、価値のみならず成長実感までも奪って、最近のラノベ主人公の努力不足感が生まれてしまう、という説です。

 

最近のラノベについて、まとめ以外の何か。

さて皆様、この記事について何を「最近のラノベ」と思い、何を「昔のラノベ」と想定し読んできたでしょうか

自分の中で「最近のラノベ」って長く見積もっても5年以内くらいの作品と考えてたのですが、2006年頃にはネットの某界隈で有名だった「ソードアート・オンライン(SAO)」が、冒頭引用の記事で最近のラノベ扱いの上誰もブクマで指摘しないのが衝撃でこの記事書きました。

え、SAOって「空ノ鐘の響く惑星で」と同時期に読んだよ?それとも書籍化されてからじゃないと「最近のラノベ」カウンターは回らないルールなの?

最近のラノベ語りって、同じところをいつの時代もぐるぐる回っている「それ何番煎じ」な印象だったのですが、むしろ自分の「最近」スパンが短すぎてそう感じただけっぽい。つまり、たかだか5年経っただけのラノベを昔のラノベ扱いして誠に申し訳ございませんでした、というのがこの記事のハイライトです。

5年以上経っても記憶に残っている昔のラノベ12選。

最近のラノベの「キノの旅」てやつ?面白いよねー。

キノの旅 the Beautiful World<キノの旅> (電撃文庫)

キノの旅 the Beautiful World<キノの旅> (電撃文庫)

 

長すぎるよ!という現代人のために一言でまとめると、観測範囲なんて人それぞれだから「最近のラノベ」なんてないし、ゆえに最近のラノベ主人公の努力不足感は観測範囲の違いが起こしたギャプである、ですかねー。

 

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