青猫文具箱

本と文房具を愛でる日々。

人生にドラクエの魔王は現れない。

魔王はどこにいますか?

名作でも駄作でもないのに記憶に残るゲームがあります。ラッセルゲームズの「はかれなはーと 君がために輝きを」という乙女ゲームで、一人だけイベント分岐が厳しすぎてクリアできないキャラがいたのです。

選択肢の選び方でイベント分岐していくので、未読の選択肢を探しては総当たり戦でエンディングへの道を探してました。全パターンまでは試せませんでしたけどねー。いつの間にかそのキャラは、私の中で敵になってました。私の全クリアを阻む「倒すべき敵」。

でも結局、独力で攻略は出来なくて。ネット上でも「攻略できないバグ」とまことしやかに囁かれ。あまりに問い合わせが多かったのか、公式サイトが攻略法を公開するに至った、ある意味伝説の乙女ゲームです。

そうして攻略法通りに進めエンディングにたどり着いたとき、びっくりするほど簡単で、拍子抜けしたのです。手強さに惑わされたけど、RPGのように勇者に対峙する魔王はいなかった。彼は所詮乙女ゲームの一攻略対象キャラで、「正しい手順で必要な選択肢を選んでいけば攻略可能」な存在でした。私が攻略法を知らないだけだった。

 

生きるのはRPGの世界ではなく。

それから10年近くが経ち、会社員人生にも馴染み。小説に頻出するところの「旧態依然としたシステムを維持しようとする人たち」と時折仕事する中で、気がついたことがあるのですよね。

「お役所仕事」「大企業病」と揶揄される組織は、正面からぶつかろうとすれば一個人には歯が立たない相手です。敵だと思えば、古く複雑なシステムはまさに魔王城で、中にいる人たちは倒したと思っても生き返りパワーアップする魔王のような存在。

でも実際は、必要な人に正しい順で根回しして手続書類を揃えると、大体攻略できてしまうんですよ。融通が全く効かない、得体の知れないものではない。むしろ、法律という明示的なルールを遵守してる分わかりやすくもあります。

巨大で自分たちに立ちはだかるように思える組織も、「正しい手順で必要な選択肢を選ぶ」ことで、乙女ゲームのようにいずれ味方につく攻略対象になる。わざわざ勇者と魔王のように、正面からぶつかって「お前が死ぬか俺を殺すかだ」をやる必要はない。「自分が正しいと思うものの精度を上げていけば、いつか相手が折れてくれるだろ」が有効な場面は少なくて、そういうときは攻略法が間違ってることが多い。

と、そんなことに気づいたのです。

一言で言うなら「幽霊の正体見たり枯れ尾花」てことですかね?わかってしまえば拍子抜け、という。

 

作られた魔王はいない、けれど。

そんなことを、こちらの記事読み返しながら書きました。

ぼくの冒険には、ラスボスはいない。 - 犬だって言いたいことがあるのだ。

幼少期の「正義の反対は悪」から、悪役だって事情があるんですよという「正義の反対は別の正義」を経由し。そこからさらに「勇者じゃなくても一個人にもできることはちゃんとある」と行動できることが大切なんだと。

自分の言葉に言い換えるなら「ここはRPGの世界ではなくて、乙女ゲームの世界だと気づく」です(なんかやだな)。そこには敵ではなく攻略対象がいるのだ、という。攻略するかは時と場合によりけりですが。

 

ここでこの記事終わってもいいのですが、もう少しだけ。

この本を読みました。私が読んだのは電子書籍の方(趣旨は一緒ですが、紙媒体と電子媒体で構成が違います)。

ざくっと書くと「人生を楽しむには自分で敵を設定した方がいいよね!」という感じ。

ついでこちらの記事も読みました。

ピーチ姫救出など口実にすぎない

マリオはビーチ姫救出など口実で、冒険の人生こそを楽しんでいるのだという。

 

魔王のいない世界にあえてラスボスを設定するなら、「正義の反対には悪、ないしは別の正義があって一生相容れない存在がいる」と錯覚させた何か、なのだと思うのですけれど。

でもその錯覚、つまり「作られた魔王」すらも乗り越えたその先で、自分で「自分がいつか超えるための壁」、敵を設定して人生を楽しんでいけたなら、それはとても主体的で素敵なことだよね、と。そしてそれに気づいてからが本当の冒険の始まりなのかもしれないと感じるある休日のことでした。まる。

 

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