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青猫文具箱

本と文房具を愛でる日々。

ホテルバイキングと転職活動の類似性。

ふらっと新潟一人旅から帰ってきました三森ですこんばっぱー!

ホテルでちょっとだけ寂しく一人バイキングして、しかも気に入った白菜の塩麹入り浅漬けと湯豆腐とお魚のしゃぶしゃぶばっかり盛り付けてテーブルに戻ってきたとき気が付いたんですが、「ホテルバイキングと転職活動って似てるな...!」と。

だからそんな話をします。

 

ホテルバイキング、たくさんの料理の中から自分が好きなものを選べて楽しいですよね。じゃあ好きなものを好きなだけ選べばそれでいいかといえば違って、胃袋も限界があるし、大人になれば栄養も考えなくてならないから、結局、料理を乗せるプレートは、バランスを考えねばならぬわけです。

それに好きだからといって、ローストビーフとポークハムにチーズハンバーグとエビフライをプレートに載せたのでは、お互いの「メイン料理的なときめき」が打ち消されあって、どこに山場を持って来ればいいかわからない。特別なものは特別だからこそ胸ときめかせるのであって、総花的になればそれだけ、一つ一つの価値は落ちちゃうのはしょうがないことです。 

そしてこれって、転職活動における自分の売り込み方と似ているなぁと。できること全てを羅列するのではなくて、自分の好きなものだけをわがままチョイスするのでもなくて、バランスと選択のセンスで、履歴書というプレートの上に自分をデザインする、的な?

個性って「選択肢の選び方」だと思う。 - ゆるふわ√3

こういうのって引き算の美学なんだなと。今までやったことの中から、自分がこういう風に見られたいなぁという実績を、過去積み上げてきた選択肢の中から選ぶ。というより、それ以外を捨てる。選択肢の選び方で自分をデザインし直して、自分という商品を売り込んでいくのが転職活動かなぁとか。どんどん足してくと汎用性の高い誰でもいい誰かになってしまって、それだと新卒の若さと使い勝手には勝てないよねと。 

その企業に向けて一番魅力的に見えるプレートにするために、自分のスキルや経験から、バイキングで料理を選ぶように選択肢を選んで、同時に選ばない選択肢を決める。履歴書を書くって、つまり情報を羅列するものではなくて、自分という魅せ方を決める行為だったりするのではないかと...だからといって嘘はまずいので、「選ぶ/選ばないことが選べるだけの選択肢」の数を用意するのも大切だと思いますが。

 

一方で、多分、自分の人生をバイキングの料理に見立てて、そこから何をどのようにプレートに載せていくかを考えるのは面倒ですよね。そもそも何が相手にも通用する料理で、どういう魅せ方が相手の好むものかなんてわからないものですし。

今まったりと呼んでいる本の中で、 

情報を捨てるセンス 選ぶ技術

情報を捨てるセンス 選ぶ技術

 

選択の達人になるとは、情報の収集、選別、調査分析をうまくこなし、誰を信じ、誰の助言に耳を傾けるべきかをしっかりと見定め、さまざまな選択肢をきちんと分析し、異なる意見を比較評価できるようになることだ。(略)

自分の情緒や感じ方、その場の気分やそれまでの記憶が、選択にどう影響するかを理解すること。自分をとりまく環境をよく知り、理解するほど、この難題を征服するための力とセンスが身についていく。

というそのものズバリな考え方が出てきて、そうか、「情報を選ぶ私という存在」についてまず知る必要があるのだな、とつらつらっと考えているところです。「自分の選び方のパターンを知る」のは、いざ情報の取捨選択という場面でネガティブな方向に癖を発揮しないために必要なんだなーと。

そしてそれにはやはり訓練が必要なんですね、選択肢を選ぶという訓練。

だからたまにはホテルバイキングに出かけて、あまたある料理の中から何をどう選んで自分のプレートの上にデザインするかの訓練を積んでみるのもいいし、履歴書を買ってきて自分のスキルや経験を棚卸しつつ取捨選択とデザインをしてみてもいいし、つまりそういう訓練て有為なんじゃないかな、と。

 

あ、それでそれで。ホテルバイキングって、プレートに山盛り盛って自分のテーブルで食べた後、ちょっとだけ物足りなくてバイキングスペースにUターンすることがあると思うのですけども。その時さっぱりフルーツとか軽めの一口ケーキとか、甘いのダメならフロマージュ的な、そんな気が利いた一品(スキルや経験)も差し出せたら素敵かもしんない。最後の一押し的な魅力ってやつです。

 

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