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青猫文具箱

本と文房具を愛でる日々。

個性って「選択肢の選び方」だと思う。

折に触れ、個性ってなんだろう、と思うのです。生まれ由来、つまりGiftedなものであるとするなら今頃未来予測は簡略化されて、生まれた瞬間からその赤子の未来は決まっていてもおかしくない。でも違うんですよね。それは大きな要因の一つではあるかもしれない必要条件だけど、絶対条件ではない。

 

コラボレーションの人です。

こちらの記事を読みました。企画ブログ楽しそう!これからの更新楽しみー。

3ヶ月だけください

では、その個人プレイ気質の人を、他の人と共同で何かをやってみたいと駆り立てる動機って、なんなんでしょうね。

「個人プレイの人が、コラボレーションの人になるとき」。

自分の場合、小学校の頃から大学まで演劇をやってきて根っからのコラボレーションの人です。だから、今週の記事を書かれている(チェコ好き)さんとは逆かもしれません。

お芝居って演出がいて役者がいて、音響や照明、美術といった裏方がいて個人プレイでできることは少ない。しかも自分は照明班がメインだったので演出や役者ありきというか、1人で何かを成立させることを前提としていない。コラボレーションして結果、生み出されるものが好きなのです。そして演劇に限らず集団行動が苦にならない質で、会社勤めをはじめてからも1人のペースを淡々と守って、よりはチームで働くほうが好きだったり。

そういう「みんな」を好む一端ってたぶん、昔から「自分自身には個性がない」負い目みたいなものがあったから、なんですね。

 

個性なんてない。

それこそ小学生の頃から、絵や文章をつくるとワンパターンになるのですよ。「なんかどこかで見たことがある」になる。クラスの誰か、一目見て「個性的だなぁ」と感じる尖ったものを作る人に憧れて、なんで自分は人のまねみたいなことしかできないんだろうと落ち込んで。でもその分空気を読むとか誰かの様式に揃えてつくるとか、苦じゃないんです。

だから自分は個人プレイには向かないなぁと思ってコラボレーションの人を選んで。1人で個性的なものが作れなくても、集団で個性的なものをつくっていけば1人では思いつけない領域に行けるかもと考えたんですね。

照明班って台本の枠内で割と自由に色づくりする人と、演出の意向を細かく聞き取って色づくりする人とがいて、自分は後者です。じゃあ自分は「演出の表現の代行者」でしかないかといえばそうではなく、これまでの経験や直感を生かして、こうした方がいいとか他にやり方があるんじゃない?とか議論を交わして、それぞれ1人だけじゃ生まれなかったものができます。1+1=2以外の回答が生まれる。

誰かとコラボレーションすることで個性をつくる、1人だと「個性がない」自分流の処世術ですね。

 

自分をデザインし直す。 

でも、20代半ばあたりで風向きが変わって、それは転職に向け動き出した頃からです。

履歴書の前で考え込んでしまって、棚上げにしてた「個性」について今更考える羽目になった。就活なら個性より、コミュニケーションとかコミュニケーションとか、要はコミュニケーションで乗り切れば良かったんですが、転職となるとね。重ねた時間なりに経験も実績もスキルもありはするけれど、「個」が出てこないというか市場においての売り物の自分たり得ないというか。つまり売り方がわかんない。

それで思い直すようになったんですが、こういうのって引き算の美学なんだなと。

今までやったことの中から、自分がこういう風に見られたいなぁという実績を過去積み上げてきた選択肢の中から選ぶ。それ以外を捨てる。選択肢の選び方で自分をデザインし直して、自分という商品を売り込んでいくのが転職活動かなぁとか。どんどん足してくと汎用性の高い誰でもいい誰かになってしまって、それだと新卒の若さと使い勝手には勝てないよねと。

 

選択肢の数だけ、自分があって。

で、ここまで書いておいて今更なんですが、個性ってなんだと思いますか。

生まれが良いとか頭がいいとか運動神経がいいだとか手先が器用とか。そういう性能が個人の性質、つまり個性をつくるんだと思ってた時期も自分の場合ありました。でも今は「個性って選択肢の選び方」だと思うんです。何を選んで何を捨てるか、それが個性じゃないかなと。

自覚無自覚の差はあれど、その選択肢の選び方捨て方がその人「らしい」をつくっていって個性になるんじゃないかな。選択肢を選んで、選んだ選択肢を育てていく。それ以外の選択肢は捨てて、振り返らない。

 

個人プレイ/コラボレーションの意味

それでやっと「個人プレイの人が、コラボレーションの人になるとき」の話に戻るんですが、個人プレイって選択肢の中から選んで捨てて、選んだものを育てている状態のように思うんですね。「ノイズを間引いて、残ったものにリソースを集中投入する」。

コラボレーションは逆で「いろんな選択肢を集めている状態」。それはきっと二人よりは三人、三人よりはもっと大勢の人とか関わったほうが選択肢は増えていって、いつか飽和する日が来たなら選ばない選択肢を決めていく。

そしてたぶん、個人プレイとコラボレーションを振り子のように揺り返しながら、選択肢を貯めたり、選択肢を選んだり、そうして自分ができてくんじゃないかな、と。

幼い頃個性がないと思っていた自分は、単に選択肢がなさすぎて/見えなくて選べなかっただけで、いろんな人たちとの間でコラボレーションをしていく中で選択肢を増やしてきたんじゃないかなと。逆に、少ない選択肢からさらに間引くことで、無自覚にも子供の頃から尖った個性を育んでた人もいるのかもしれないけれど。

 

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