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青猫文具箱

本と文房具を愛でる日々。

「私が悪いってことですか?」には、未来を見せる。

昔々、前の会社で若手と呼ばれてた頃のことです。

私は海外の仕事相手に、半年後のセレモニーに招待するための案内状を送りました。先方からは「このセレモニーで想定されている参加者は事務方か?重役クラスか?」と確認メールが来て、「重役クラスで」と返信したんですよねー、事務方クラスで良かったのに。先方から出席の返事が来た後で、その間違いに気がつきましたが後の祭り。

上司に内容も文面も確認したはずですが「俺は聞いてない」状態で、で、めちゃくちゃ怒られました。「どうしてくれるんだ!」と。このとき私は「え、私が悪いってことですか?」て思ってムクれた気がするんですが、そこで今も尊敬する先輩が言ったのです。

せっかく先方来てくださるんですし、どうせなら何かの記念をこじつけて、重役クラスが集まるセレモニーにしませんか。むしろチャンスですよ」と。

 

多分、事務方クラスにセレモニー来てもらった方が、スケジュール調整やら会食のセットやら楽だったと思うのです。それでも先輩が頑張ってくれて、もちろん私も走り回って、上司は頭を下げて回って、先輩が言った通りに「むしろチャンス」の重役クラスが集まるセレモニーは成功したのです。それに合わせて大きな契約もまとまったし。社長から直接お褒めの言葉をもらってました、上司が。めでたしめでたし。

 

上司が「どうしてくれるんだ!」と言い、私が「私が悪いってことですか?」とこじらせ、上司が「もういい、俺がなんとかする」と先方に断りの連絡を入れてたら、セレモニーは例年通りに小さくまとまって、大きな契約も成立しない、定例イベントだったと思うのです。そしてチームもこじれてた。先輩すげー

振り返ってみると、この時先輩がしたことは、「失敗」という結果になるはずだったものを、終わるまでの距離を延長して挽回のチャンスに変えたことです。チャンスが与えられたのは、直接的には私だけど、それは上司にとっても先輩にとってもそうだったんじゃないかな。

 

終わってしまった「失敗」という結果は、挽回できない。結果責任というものがあれば、なぜそれが重いのかというと、取り返しがつかないからです。覆水盆に返らず、てやつですね。時間という薬が効くまで、ひたすら責められ耐えるしかないから、人は責任を取らされるのを嫌がるし、できるだけ「謝りたくない」。そう私は思ってます。

 

こちらの記事を読みましたー。

自分が責められているという感覚、あるいは物事には"責任をとるべき誰か"がいるという考え方について。 - フジイユウジ::ドットネット

 

すごくわかる。

何か問題が発生すると、それはあくまで「失敗という結果」に対しての問題意識であるはずが、自分が責められているように思ってしまうこと(=自分が責められているという感覚)あります。

だって実際、取り返しのつかない「失敗」に対してできることなんて、誰かが責任を取って頭をさげるぐらいしか出来ないでしょ?と場の空気もそうなる(=物事には"責任をとるべき誰か"がいるという考え方)。

「問題」≠「問題を引き起こした自分」は難しいし、場の空気も許してくれない訳です。だって、取り返しがつかなくなった「失敗」に取り組むには理由が必要で、誰かのせいにしたほうが楽じゃないですかー。なんてね。

 

でも、このモヤモヤに対する一つの解を自分は持ってるな、と思います。全ての状況にとっての最適解ではないので、一つの解にすぎませんが。

要は、冒頭の先輩と同じことをすればいいのです。失敗」という結果になるはずだったものを、終わるまでの距離を延長して挽回のチャンスに変えればいい。 

この本の中で、

一瞬でYESを引き出す 心理戦略。

一瞬でYESを引き出す 心理戦略。

 

そもそも失敗とは「結果の解釈」に過ぎない

私は基本的には、ビジネスにおける「失敗」はないと思っています。なぜならそこには「失敗とは何か」という絶対的な定義がない、もしくは不明瞭だからです。(略)

単なる結果を当事者がどう解釈するかによって、それは成功にもなりうるし、失敗にもなり得るのだと、私は考えます。

つまり、ビジネスにおける「失敗」は、「結果の解釈」に過ぎません。前項で書いた「失敗を利用する」という発想も、結果を「失敗」でなく「一つのビジネス素材」と解釈して、有効に利用しましょうということです。

一番好きな項目です。結果を「失敗」でなく「一つのビジネス素材」と解釈するというのは、冒頭のエピソードとも繋がるんじゃないかなーと、初めて読んだ時から思ってます。

終わりと決め打ちして、結果責任と解釈するから誰も責任を取りたくない。なら、そこを終わりと決め打ちしないで、あくまで理想とする目標までの通過点に置き換えればいいんじゃないかしら、と

続くならそれは「失敗」ではなく「むしろチャンス」です。結果責任は取りたくなくても、チャンスを勝ち得たい人なんて世の中いくらでもいます。どうしようもないことで頭を下げ続けるのは滅入るけど、目標のために頭を下げ続けるのは苦にならないものです。

 

そんなわけで自分は、問題が起きた時は「お、改善点見つかってよかったー」と言いたい。「むしろ取り返しがつかなくなる前でラッキー」と思いたい。

実際、部下が「本当に申し訳ありません...」と神妙に謝ってきた時も、結構大きなトラブルを隠して追い詰められて休んだ日も「まぁまだ覆水盆に帰るレベルだから問題ないよ」と(時には無理やり)言いました。

かつて先輩がしたように、「失敗」という結果を通過点に置き換えて逆転ホームランを打つ的なスキルは持ち合わせてませんが、「むしろチャンス」と、通過点に置き換えるぐらいはしたい。

 

ていうメンタルを持つ人が増えれば、「失敗」を「一つのビジネス素材」と考えられるようになって、「問題」≠「問題を引き起こした自分」も切り離して考えられるようになるんじゃないかなーと思う今日この頃。だって、人はなかなか変われないけれど、物の見方は案外簡単に変わるじゃないですか。

 

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