青猫文具箱

本と文房具を愛でる日々。

いつだって無造作に加害者側。

フェミニズムやジェンダーの話になるとき、負い目を感じる派です。 

自分の場合、就職で「自分が女である」を不利に感じる場面って想像よりなかったんです。上司や仕事に恵まれたのも大きいと思うんですが「女だから」との理由で大きな不利益を被ったと感じることはあまりなく。

例えばこれから子供を産み、そしたら業務量や時間、査定や昇進などで「女性だから」の不公平感を抱くんでしょうが、まだ想像の範囲でしかありません。

甘いといえばそうなんですが、自分にとってはフェミニズムやジェンダーで声を上げる人って「対岸の火事」で、更にはジャンルの「面倒くささ」ゆえに目をそらしたい、口をつぐんでいたい気持ちがあったのです。女性登用の目標指数とかの話題でも、自分の実績をその枠の中で評価されるのはもやもやしますし。

その必要性はわかっているし、そうあるべきだと思うけれど、その枠で自分を見ないでと考えてしまう。

 

それが「いや?ちょっと待てよ」と思ったのは割と最近で、きっかけはフォトジャーナリストの林典子さんが撮影した写真集「キルギスの誘拐結婚」でした。以降イスラムやアジア圏での女性に関係するニュースが目に入るようになった。

キルギスの誘拐結婚

キルギスの誘拐結婚

 

宗教や文化が違いますし、のほほんと生まれ育った自分が批判できる問題ではないですが、それでも思うことはある。というより、自分だけ先達の積み重ねを享受してる感が居たたまれない。

 

そんな中、ツイッターなどで「本当は女子にこんな本を読んでいてほしいんだ。」フェアが話題になって、先日、自分なりの考えを書いたんですが、

ゆるふわ系愛され女子☆は書店でSF文庫を手に取るか? - ゆるふわ√3

ワンピースが世界中に翻訳され展開されてるグローバルな世の中で「海賊の物語なんだし時代が違うから女は性的消費の対象でも別にいいだろ」なんて油断して賞賛していると、静かに無意識に望まぬ誰かに大義名分を与えているような気持ち悪さを覚えるのです。

同日のBBCの記事ですが、まさしくそういうリスクの一環だなと。主眼は児童ポルノですけども。

Why hasn't Japan banned child-porn comics? - BBC News

 

最近のクールジャパンの動き、あれって文化輸出だと思うんですが「女性差別を無造作に受容する日本文化」を輸出するのってどうよ、と。日常の一場面や、映画やアニメの枠に収まる範囲であればどうでもいいけれど、その無造作が他の、つまりはグローバルな場面で滲み出たりはしないでしょうか。

これって、どこかの国で苦しむ女性に対して無造作に差別の片棒を担ぐリスクにも、日本の女性差別を非難する国に大義名分を与えるリスクにもなり得るように思うのです。無造作に加害者になってしまうリスク。

 

で、ここでのリスクへの有効策ってまずは気がつくことです。

よくある言葉だと「問題を問題として認識する」。問題って、認識した瞬間から半分以上解決されるといいます。一度「ある」と分かった問題が、そのまま放置されることはほとんどいない。

そういう意味で、フェミニズムだったりジェンダーだったりを「面倒くさい」とタブー視するのでなく、トピックとして取り上げられる時期になったんだろうな、と。

 

そして自分も、自覚的でありたいんです。どこかの誰かを批難した気になって、自己満足で終わらないように。

「この問題はこんなに複雑なんだ、素人は手を出しちゃいけない」と思考停止するのではなくて、ちゃんと手足を動かす。ついでにいえば「手を差し伸べる」的な上から目線の同情じゃなくて、お互い様とか、自分にとっても利があるとか、同じ高さでやれることをしたい。というか半径3メートル以内ではそうしてる。

自分を被害者だと思う人たちが「人の気も知らないで」というなら、目を瞑って見ない振りしてもいいけれど。もう少しできることがあるはずだと最近考えるのです。

 

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